つれづれ美術手帖

アート関連の上高ブログです。

自画像 有名なものから少し変わったものまでご紹介!

自画像は、自分我を描くことから、自己の感情や心的傾向など、画家我の内面を描写良いモティーフです。
特に、写真技術の発展に一倍「見たものを写す」という大幅ニーズが無くなった近代以後、数多い画家が好んで自画像を描きました。
歴史に残る画家たちは、何を思って自画像を描いたのでしょうか?
今回は、そんな画家たちが描いた自画像を、有名な作品から少し変わった作品まで、多数ご紹介します。

レンブラント・ファン・レーン(1606−1669年 オランダ)

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(写真)自画像 レンブラント 1640年
レンブラント34歳、絶頂期の作品。
この作品を描いた2年後に「夜警」が完成します。

レンブラントは「夜警」で知られる、17世紀のオランダ絵図黄金期最大限度の主です。
彼は生涯において、スケッチを含めおよそ100枚もの自画像を描きました。
彼が大量の自画像を描いた理由は、絵(ポートレート画)のリサーチの利得、モデルを雇うと黄金がかかるからと言われています。
レンブラントの特徴は光の劇的な描写。光と影を巧みに使うことで、モデルの生き様や内面までも表現しようとしました。
そんなレンブラントの自画像では、彼が自画像を描いた時期の心境や考えが構図や面持、光のあて方などによって垣間見ることができます。
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(写真)自画像 レンブラント 1669年
レンブラント最晩年の作品
晩年のレンブラントは、フォールし大切な人を失いずっと孤独な生活を送ったと言われています。
この自画像では、こだわりすぎて俗衆から見放されたほどの、彼の優れた技術が余すこと無く表現されています。
(参考ページ)
http://omochi-art.com/wp/self-portraits-by-rembrandt/
アートをめ共犯お論なく「100枚も自画像を描いた?レンブラントの自画像を紹介します!」
レンブラントの自画像を齢取分け一覧にしている犀トです
https://artmuseum.jpn.org/rembrndtjigazou.html
西洋絵図美術館「レンブラントと自画像」
レンブラント年代ごとにその時起こったエピソードとともにざっくりピックアップしている犀ト

ギュスターヴ・クールベ(1819-1877年 フランス)

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(写真)絶望する男(自画像) ギュスターヴ・クールベ 1843年令
クールベ24歳頃の作品。

クールベは現高度見たものだけを描く、写実主義の画家。
其頃は描かれることがなかった貧乏農民や肉体労働者、いつもの女性のヌードなどを積極的に描き、ノベル主義や古典主義とは対立した、其頃前衛的な画家でした。
クールベ初期の作品には自画像が多くあります。
彼の自画像では、写実主義の画法を確立する前の、なめらかな線と活動的な形のノベル主義の画法の作品を見ることができます。
のちに、自然とかけ遠遠しい大げさなこの画法に疑問を持ち、対立した画法を確立していくことになりますが、この作品からも、型にはまっていない前衛的なポーズから彼の野メンタルな考えが垣間見ることができます。
クールベは自分のことを「フランスで最近くぬぼれて、傲慢な人間だ」と言っていた斯う。
タイトルの「絶望」と、どのような関係があるのでしょうか?
(参考)
https://www.musey.net/12829
MUSEI 絶望(自画像) 画家 : ギュスターヴ・クールベ

ポール・ゴーギャン(1848-1903年 フランス)

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(写真)光背のある自画像(戯画的自画像) ポール・ゴーギャン 1889年

ポール・ゴーギャンはフランスのポスト印象派の画家。
ゴーギャンはポスト印象派のとりわけ特に、見たものを感覚的に捉える印象派を否定したことで知られて滓、目に見えない内面や思想・怪事的な世界を表現しようとしました。
この自画像では、光背や林檎、蛇といった、キリスト教のモチーフが描かれて滓、霊的な要素に影響を受諾ていたことがわかります。

エドヴァルド・ムンク(1863-1944年 ノルウェー

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(写真)地獄の自画像 エドヴァルド・ムンク 1903年 ムンク美術館

ムンク表現主義の典型的な画家の一人。
病気で家族を早くに亡くし、暗い幼年期を送りました。
ムンクは我の私生活の苦難や不安を自画像として多く描きました。
この作品では、黒・赤を主調とした暗く不気持な背景とインバースに、全く防御されていない全裸のムンクが、まるで自信満々かのように立っています。
首から上は赤く背景に溶け込み、怒っているようにも見えます。

尚又、ムンクの代表作「叫び」は、絵のモデルは自分我でないものの、自分の内面を表現しているという意味で自画像とも言えます。
(ちなみに、絵のモデルはパリ国際万博でディスプレーされたペルーのミイラと言われています)

自己ン・シーレ(1890-1918年 オースト裏側

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(写真)むき出しの肩を高くあげた自画像 自己ン・シーレ 1912年 42.2×33.9cm レオポルド美術館

自己ン・シーレ表現主義を代顕わす画家。
28歳という短い人生の中で驚嘆ほど数多い作品を描きました。
彼の自画像は、自らの変災的で甲斐甲斐しいな人生を物語るような、肝っ魂的でセクシュアリティ表現が特徴です。
歪んだ顔は恐怖に怯えているような面持を誇張し、肩は窮屈に上に押し昇られているように見えます。
シーレは、この作品で筆と指先を使って描いた後、顔を筆の先端で傷つけたと言われています。

サルヴァ人形・ダリ(1904-1989年 ス賃銀ン)

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(写真)焼いたベーコンのある自画像 サルヴァ人形・ダリ 1941年 61×51cm ガラ=サルバ人形・ダリ財団所有

サルヴァ人形・ダリシュルレアリスムの典型的な画家。
ダリは我の肝っ魂的苦痛や虎ウマを、ダリの身近にあるモチーフを使って表現しました。
とりわけ特に溶けたチーズや時計、顔を好んで描きました。
この自画像では、仮面のような薄い自分の顔がチーズのように溶けようとしていて、目や顔の裏などに杖を置くこと探偵ろうじてそこに留まっている儚い様子が描かれています。

フリーダ・カーロ(1907-1954年 メキシコ)

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(写真)死を考える フリーダ・カーロ 1943年 人蔵

フリーダ・カーロはメキシコの現代絵図を代顕わす画家。
18歳の時、交インタープリタ故で重傷を負ったことをきっかけとして絵を描き始めます。
ガールフレンドは死や愛といった話頭で自画像を数多く描き、尚又自画像に大幅葉・動物・ドクロなどといったモチーフを好んで描きました。
フリーダ曰く「私は主にの時間を一人で過ごすし、自分のことは自分がいちばん知っているから、自分を描くのです」
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(写真)ひげ首答申とハチドリのセフレポートー盆ト フリーダ・カーロ 1940年
好んで描かれる猿はフリーダが飼っていた動物だった斯う。

ル弗フ ハウズナー(1914-1995年 オースト裏側

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(写真)自画像 ル弗フ ハウズナー 1955年 60×52cm

ハウズナーは幻想的な絵図を描くウィーン幻想派の画家。
細密な描写と豊かな色彩表現を駆使しながら、現実と非現実の組み組合わせや、神話や大著から得た映像、遠近法などの技術を逆手に取った画法で不潜考な映像を新築出しています。
この自画像では、折形で作られた帽子が頭の上に描かれていますが、影もなく被っているようには見えません。
画面上でも最も目を引くといっても良い首は、普通一倍も長く描かれ、ひねり、しなやかなカーヴを新築出しています。
傍若無人的な瞳は何を訴訟ているのでしょうか?

フランシス・ベーコン(1909-1992年 イギリス)

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(写真)自画像 フランシス・ベーコン
フランシス・ベーコンは、抽象絵図が中心だった第二次世界大戦後の美術界で具体絵図を描き続けた画家です。
フランシス・ベーコンの絵図から感じられる話頭は時間や動き、連続性など。
ベーコンは自画像で、1人の人間の時間による変化を画面上で描こうとしたと言われています。
連続的に描かれた立体的な顔は、歪みやデフォルメが目立ち、不安や恐怖などといった印象を受諾ます。
(参考)
https://www.artpedia.asia/francis-bacon/
artpedia【美術解説】フランシス・ベーコン「20世紀後半において最も重要な人物画家」

葛飾北斎(1760-1849年 日本)

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(写真)自画像 葛飾北斎 1840年
葛飾北斎は江戸時代後期を代顕わす浮世絵師です。
この自画像は北斎最晩年、80歳以後に描かれました。其頃彼の雅号は「画狂老人卍」。
聢と、狂ったような自画像です。
今代の日本では、ポートレート画は描いても画家が自画像を描くことはあまりありませんでした。北斎は何を思って自画像を描いたのでしょうか?
(犀ト内リンク)https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/06/23/175416
つれづれ美術手帖 葛飾北斎

草間彌生(1929- 日本)

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(写真)自画像(Self-Portrait) 草間彌生 2010年
草間彌生は現代の日本を代顕わす芸術家の一人。
我が体験している幻覚や幻聴を描くことで知られています。
(参考)
http://yayoi-kusama.jp/
草間彌生公式HP



いかがだったでしょうか。
その他、日本の表現主義の画家は自画像を好んで描いています。
詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください
(犀ト内リンク)
https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/05/10/173047
つれづれ美術手帖 表現主義と自画像


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投稿 2021.07.08
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西洋美術史をざっくり解説 ギリシャ・国法マ美術からシュルレアリスムまで

<犀ト移転のお知らせ>
たいていご覧頂き、誠に有り難うご座居る
この度、本ブログを新しい犀トへ移転することになりました。当面はこの屡にしておく予定ですが、移転作業完了後は削除予定ですので、引き続きご覧になりたい方は新しい犀トの方へ冊子本マーク等をよろしくお願いします。

移転先の記事はこちら
【keywart】西洋美術史をわかりやすく解説


今回は、ギリシャ・国法マ美術からシュルレアリスムまでの西洋美術史を、中心人物や特徴などを時代背景とともにざっくりと解説して粋ます。

(内容解説)
時代:時代、年代
特徴:その時代の作品の特徴
目的:画家の目的
お手伝い:描かれた美術品の使い道
場所:中心となった場所
人物:中心となった人物など
背景:時代背景・技術革新など

ギリシャ美術

時代:BC6世紀頃〜0年
特徴:師表の姿・筋肉・大胆
モティーフ:ギリシャ神話の神々
目的:「師表の美」の追求
場所:ギリシャ
人物:不明
背景:哲学が盛ん。良質な大理石が多く採れた

ギリシャ美術が栄えた時代では、哲学が盛んで、「肝っ魂と肉体との調和が取れた人間」になることが師表とされていました。
親友テノン神殿やミロのヴィーナスなどが今期に制作されています。

(写真)ミロのヴィーナス

国法マ美術

時代:紀元前1世紀頃〜3世紀頃
特徴:著大
モティーフ:主上のポートレートなど
お手伝い:威光誇示
場所:国法マ
背景:国法マ帝国の拡大に一倍発展

国法マ美術は国法マ帝国の拡大に一倍発展した美術です。
その利得、強いな威光を表すコロッセウムや凱旋門などの著大な建造物が多く作られました。
彫刻ではプリマポルタのアウグストゥスなどが有名です。

初期キリスト教美術

時代:2世紀頃〜6世紀頃
特徴:モザイク画・素朴な表現
モティーフ:宗教画
目的:ミッション
お手伝い:ミッション
場所:国法マ
背景:キリスト教とともに発展

初期キリスト教美術は、国法マ帝国の拡大とともに入ってきたキリスト教を、文字の読めない人々にも伝える利得に発展して粋ました。
キリスト教が国法マに伝わった60年令から、公認される313年までは弾圧の対象でしたが、信徒たちは弾圧を受諾ながらも墓地や壁画に絵を描きました。
聖書の物語を伝えられるよう、モザイクを用いて描かれました。

ビザンティン美術

時代:5世紀〜15世紀頃
特徴:正面から描いたポートレート画・装飾的
モティーフ:宗教画(キリスト教)特にイコン(大師像)
お手伝い:ミッション・政治利用
場所:東国法マ帝国
背景:モザイク画・フ答申コ画が発達

ビザンティン美術では、ギリシャ・国法マ美術やキリスト教美術を継承しつつ、アジア(ペルシャ)から入ってきたアラブ連合共和国やメソポタミアの装飾的な美術要素が加わった絵図様式が誕生しました。
今期、頻しかと描かれるのはイコンという、大師のポートレート画でした。
特にキリストを真正面から描いたイコン画は、神聖なものとされ、権威を持つようになります。

(写真)受胎告知(部分) 5世紀前半 サンタ・マ裏側・マッジョーレ聖堂

ゴいなせ美術

時代:12世紀後半〜
特徴:ス十ドコップ
場所:北フランスなど
有名:シャルトル大聖堂のス十ドコップなど
背景:建築技術が進歩
大幅窓を作れるようになった

建築技術が進歩したことに一倍、弓張や細い柱での建築、大幅窓を作れるようになった利得、絵図は壁画でなくス十ドコップが多く用いられるようになりました。

(写真)シャルル大聖堂

ルネサンス美術

時代:14世紀頃〜
特徴:正確で均整の取れた人体、豊かな面持、奥行きある空間表現
モティーフ:宗教・人物・風景・風俗
目的:ギリシャや国法マ文化の復活。現実的・科学的に捉える。
お手伝い:ミッション・威光誇示など
場所:イタ裏側(フィレンツェ)→国法マ
人物:レオわがままド、ミケランジェロラファエロ
背景:戦乱・ペストの流行、顔料の発展

ルネサンスの語源はイタ裏側語の「再生(rinascita)」
ルネサンスギリシャ・国法マ文化の「再生」を目指しました。
戦乱やペストの流行に一倍、人々は(ギリシャ・国法マ文化のような)従前の価値観にとらわれない人間性を目指し、人間や自然を現実的・科学的に捉えようとしました。

顔料を作る技術が発展したことで、一倍緻密な描写が可能になったことも、ルネサンス文化の発展に大きいく影響しました。
尚又、この頃から風景画・風俗画が描かれ始めますが、風俗画といっても宮廷の様子を描くグレードでした。

補足:ルネサンス内での分類
・初期ルネサンス
 自然な面持・奥深い空間表現。
 ジョットやボッティチェリなど
・北方ルネサンス
 人物画、風景画、風俗画を確立。
 ヤンファンエイクなど
・盛期ルネサンス
 ギリシャ・国法マと同等の美術の完成。
 レオわがままドやミケランジェロラファエロなど


(写真)アテネの学堂 ラファエロ・サンティ
1511年 500×7.7cm ヴァチカン美術館

バロック美術

時代:16世紀末〜18世紀前半
特徴:暗い画面・劇的な光の演出・誇張
モティーフ:宗教・人物・風景・風俗(宮廷の従者も描くようになる)
お手伝い:カトリックの信徒を増やす利得、威光誇示(貴族から富裕層まで拡大)
場所:イタ裏側・ス賃銀ン・オランダ
人物:カラバッジオルーベンス(イタ裏側)、
   ベラスケス(ス賃銀ン)、
   レンブラントフェルメール(オランダ)
背景:宗教変改プロテスタント誕生・テレビカメラ・オブスクラ

バロック美術は、宗教変改に一倍プロテスタントが生まれたことで、危機を感じたカトリックが信徒を呼び戻す利得に生まれました。
注目の的をあてたような、ドラマチックな光の演出が特徴です。
尚又、二八世紀からはテレビカメラ・オブスクラという、風景を投影する装置が普及したことで一倍即物的な絵図を可能としました。

補足:キリスト教の宗教画はカトリックだけ
キリストの姿を想像で描くことは、それ自体キリスト教で禁止されている「歎美」であると反対し、生まれたのがプロテスタント
その利得、プロテスタントは宗教画を主に描いていません。


(写真)夜警 レンブラント・ファン・レーン 1642年 363×437cm アムステルダム国立美術館

ロココ

時代:18世紀
特徴:軽快・優美・装飾的
モティーフ:宗教・人物・風景・風俗(男女の戯れ)
お手伝い:威光誇示
場所:フランスの宮廷
人物:ヴァトー、フラゴナール
背景:貴族文化、サロンが始まった

貴族が栄え、ピクニックやサロンなどといった貴族の文化が優雅になった時代。
今代では、貴族の生活や男女の戯れを想像的に描きました。

(写真)ぶらっとこ フラゴナール 1768年令 ウォ答申・集合物(ロンドン)

新古典主義

時代:18世紀後半〜19世紀前半
特徴:確乎たる構図、正確な形、儀式美
モティーフ:宗教・人物(ポートレート)・風景・風俗
目的:ギリシャ・国法マ様式の模倣
お手伝い:威光誇示など
場所:ヨーロッパ全土
人物:ダヴィット・アングル
背景:新式な古代遺跡の発見から古典への関心
   ナポレオン政権

今代では、軽快で派手なロココの反動や新式な古代遺跡の発見から、又もや古典を見矯める動きが出てきました。

(写真)グランド・オダリスク アングル 1814年 ルーヴル美術館

ノベル主義

時代:18世紀末〜19世紀前半
特徴:個性、感情、主観的な作品(絶望・恋愛など)
モティーフ:歴史・人物・風景・風俗
お手伝い:威光誇示
場所:イギリス・フランス・ドイツ
人物:ドラクロワゴヤ
背景:産業レボリューション・民主主義

ノベル主義では、新古典主義に対し、人の自由な感受性やイマジネーションを表した熱いな絵図が好まれました。
特に有名な作品はウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」など

(写真)民衆を率いる自由の女神 ドラクロワ 1830年

写実主義

時代:19世紀中頃
特徴:即物的、自然光
モティーフ:風景・人物(農民をメ宿舎で描くようになる)
目的:目に見えるものを明白に描こうとした
場所:パリ近郊
人物:クールベ、ミレー、コ国法など

写実主義の画家は、古典主義やノベル主義などの思う様な世界ではなく、現実を見直斯うとしました。

(写真)落ち穂ひろい ジャン・フランソワ・ミレー 1857年 83.5x111cm オルセー美術館

印象派

時代:19世紀
特徴:明快な色、激しいタッチ、屋外での制作
モティーフ:風景・風俗(浮れ妻なども描くようになる)
目的:光がちらちらするその一瞬を切り取ろうとした
場所:フランス
有名:「印象ー日の出」
背景:チューブ絵具の開発、写実際的発明(1827年
   蒸気機関車1802年)、ジャポニズム(19世紀中頃)

混色せず、チューブから出した屡の色で、その時その瞬間の印象を描く技法が独自な印象派
印象派の語源はモネの「印象ー日の出」です。
印象派は「画稿や遠近法など優れた技法で歴史画・宗教画を描くことがすば思える」と考えられていた時代に、技法を無視した感覚的な技法で風景画や風俗画を描きました。
尚又、チューブ入り顔料が開発されたことで、屋外での制作が苦もなくなったことも重要な点です。

(写真)印象-日の出 ク国法ド・モネ 1872年

四分子ビズム

時代:20世紀ビギニング
特徴:原色・激しい色彩・
モティーフ:風俗・風景
目的:色彩で感情を表斯うとした
場所:フランス
人物:マティスアンドレ・ドラン

四分子ビズムはフランス語の「四分子ヴ(野獣)」から来た名前です。
「色のレボリューション」ともいわれ、それ自体の色にとらわれず、原色を使った激しい色彩で感情を表現しました。

(写真)赤のハーモニー アンリ・マティス

キュビズム

時代:20世紀ビギニング
特徴:複数の視点や角度から描く
モティーフ:人物・静物・風景
目的:3ジメンションをいかにして2ジメンションにするかという主題の追求
場所:フランス(パリ)
人物:ピカソ・ブラック

キュビズムの語源は「立方体(立方体)」
ブラックの描く風景画が「小さいな立方体による絵のようだ」と、言われたことから、この名前が付きました。
古典的な遠近法や写実を一切排除したことから、「形のレボリューション」ともいわれています。

(写真)アヴィニョンの娘たち 一杯飲屋ロ・ピカソ 1907年 ニューヨーク近代美術館

ダダイズム

時代:第一次世界大戦中(1914〜1918年)
特徴:複数の視点や角度から描く
モティーフ:既生産物などから引用
目的:世界や文化に対する抵抗や絶望感などを表現
場所:ヨーロッパ→ニューヨーク
人物:デュシャン
背景:第一次世界大戦

ダダイズムは、第一次世界大戦中、世界や文化に対する抵抗や絶望感などから、アートや創造をすることの意味・可能性を問いかけました。
この頃を始点として、アートの中心がヨーロッパからアメリカへと写って粋ました。

(写真)泉 マルセル・デュシャン 
デュシャンは既生産物(レ日・御手伝いさん)にファンタスチックの画家の犀ンをすることで、アートの意味を問いかけました。

シュルレアリスム

時代:1919〜1924年
特徴:愕き、意外な並列、ばかばかしさ性
モティーフ:風景
目的:潜在的に有する欲求を引き出斯うとした
場所:フランス
人物:カップリッド、ダリ
背景:心理学者・フロイト肝っ魂分析的思考理論に影響

シュルレアリスムは、フロイト肝っ魂分析的思考理論に影響を受諾、夢の情景などを使って潜在意識を引き出斯うとしました。

(写真)記憶の傾倒 サルバ人形・ダリ 1931年 ニューヨーク美術館


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投稿 2021.06.18
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水墨画 中国・日本個々の歴史と特徴

水墨画とは

墨で表現される墨絵(コーナえ)の壱。
中国唐代に成立したとされています。
英語訳は「ink painting」尚又は「Chinese ink painting」
まれに、Zen(禅) painting と呼漏洩事もあります。

中国での水彩画の歴史と特徴

墨一色の濃淡だけで描写ような絵図が描かれ始めたのは唐代からとされています。

そもそも「墨」が使われるようになったのは、中国・殷(BC17世紀-BC1046年)代から。
墨を使った絵図(壁画)は漢(BC206-220年)代にはあった斯うですが、其頃の絵図は墨の線に絵取るをしたようなもので、墨一色ではありませんでした。
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(写真) 匡廬図(ぎょうろず) 荊浩
荊浩(けいこう)は中国唐代の水墨画家で、初期の水墨画で有名な画家です。

その後、宋代(760-1277)には、著作家官僚の余技(遊び)として水墨画が描かれるようになり、禅宗が普関わるる際に、禅宗に関係人物画が水墨画で描かれました。

中国の水墨画の表現は、写実表現を追求する段階で生まれた絵図と言われて滓、「即物的な表現」を試みた成行き、色をつけることをやめ、墨の濃淡だけで描写方法が生まれた所に興味深さがあります。
尚又、西洋絵図のような影の表現がないことや、写実際的ように精細な描写でないことも独自です。
これは、西洋画が「見た屡」自然なものの描写を試みたのに対し、水墨画はものの「資質」を描こうと試みたという、目的の違いがあると考えます。


日本での水彩画の歴史と特徴

奈良時代(710-794年)時代には、墨や唐代の墨画の技法が輸入され、木簡や壁画等に墨で書いた文字や墨画がありましたが、
いわゆる墨の濃淡だけで描写「水墨画技法」が描かれるようになったのは鎌倉時代でした。
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(写真)鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ) 7世紀頃 136×56cm 正倉院宝物
奈良時代に伝わった唐代の墨絵技法がわかる絵図

鎌倉時代に中国から渡ってきた水墨画は、禅の思想を表す『達磨図』・『瓢鮎図』など。
禅宗が武者からの支持を収集したことに一倍、水墨画は多く描かれるようになりました。

さらに室町時代では水墨画が日本で独自に発展しました。
室町幕府・足利家が禅宗を庇護したことで禅文化が栄え、水墨画で有名な如拙、周文、雪舟をはじめとする画僧を多く輩出しました。
日本では、中国の水墨画家「牧谿」が一番優れた絵師とされ、牧谿の作品の模写が多く行われました。
中国の水墨画血筋の起源(写実)とは違い、「模倣」が血筋の起源だった利得か、写実表現とは違った表現が生まれた所が個所です。
日本の墨画は、水墨画がメ宿舎で、さらに禅宗の教えとともに広まったことから、「禅の考えを表す」というアブストラクトな表現を言入られました。

尚又、初期の水墨画は人物画や花鳥画が多く描かれていましたが、今期(15世紀)からは日本でも本格的な山水画が描かれるようになりました。
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(写真)秋冬山水図 雪舟等楊 室町時代15世紀 東京国立博物館 国宝

尚又、「詩画軸」が制作されるようになったことも重要な個所です。
「詩画軸」とは、「詩・書・画」が一体として考えられる心的傾向を表した作品で、掛軸の画面奴に水墨画を描き、ふたの余白にモティーフと関連する漢詩を書いたものです。
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(写真)紫門新月図 

尚又、琳派で知られる宗達光琳は、水墨画に日本的情感を盛り込み独特の表現をしたことでも知られています。



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投稿 2021.06.11
更新 
参考 

水墨画の技法
https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/04/26/182054
牧谿
https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/02/29/183702

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塩田千春

*塩田千春*

生 年  1972年
時 代  現代
出身地  大阪
定住地  ベルリン
分 類  現代アート宿舎スタレーション
話頭  生と死
題 材  赤い糸・靴やかばんなど
受影響  村岡三郎、マリーナ・アブラモヴィッチレベッカ・ホーンなど


塩田千春は大阪出身ベルリン在住の現代アート作家です。
2015年、ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として入選されたことで、近年さらに注目を浴びるようになりました。
大幅会場を使用した大スケールな宿舎スタレーションが有名ですが、亦も立体や写真・映像なども制作しています。

現代社会に質問ような作品が多い現代アートの分野で、塩田は「生と死」という人間の根元ともいえる内面的な話頭を掲げ、生きることや人間の存在について質問作品を多く制作しています。
その背景には、我の癌治療の体験や、師事した芸術家が考えられ、今回はその2点をご紹介します。

*癌の闘病生活*

塩田は2005年に癌を発症し、2017年に再発しました。
機械的に進んでいく病気の治療に不一致や葛藤を覚え、塩田は作品に昇華するしかなかったと語っています。

「まるでベルトコンベイヤーで運漏洩ように、全てはシステマチックに並べ方されてゆく。その中へ『私』は全く存在しな余程いうばかばかしさに、魂が置き去りにされている、と感じた。まったくならない心の葛藤を説明するには作品をつくるしかなかった」
(引用:「魂がふるえる」インタビュウー記事一倍)

2019年、癌の再発後に行った、我最大限度スケールの個展「魂がふるえる」では、癌治療での我の体験を踏まえた新作が発表されました。

「ここまで死と寄り添った展覧会は初めてで、死や生きていくことを考えさせられた展覧会でした」
(引用:美術手帖「魂がふるえる」インタビュウー記事一倍)

*影響を受諾た芸術家3名*

ここからは、塩田が師事し、影響を受諾た芸術家を時代順に紹介して粋ます。

村岡三郎(1928-2013)

京都精華大学彫刻科教授。塩田は在学其頃、彼に師事していました。
戦争体験の影響からか、生命や死についてを話頭とし、鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って表現した作品で知られています。
https://www.kenjitaki.com/artists_j/muraoka_j.html
村岡三郎の作品はこちらから。KENJI TAKI GALLERY 村岡三郎

マリーナ・アブラモヴィッチ(1946-)

パ四分子マンス・アートで知られる芸術家
ブラウンシュヴァイク美術大学在学中(1997−1999)約2年ほど師事していました。
アブラモヴィッチは、炎の中へ横たわり危うく窒息死し懸かるといったような、肉体を極限まで駆使した過激なパ四分子マンスを行いながら、パ四分子マーや鑑賞者との関係性や意識を考える作品を新築出しました。
【Art File Y013】マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」 - YouTube
マリーナ・アブラモヴィッチ「夢の家」

レベッカ・ホーン(1944-)

ビジュアル芸術家、映画監督
ベルリン芸術大学(UDK)在学中(1999−2003)に師事していました。
身体に羽や角をまとい、身体拡張を話頭とした作品が有名で、ガールフレンドの作品は簡単な機械を使った物が多く、現代文清に対しての批判を訴訟ています。
f:id:fumi23art:20210528155939j:plain


* * * * *
投稿 2021.05.28
更新 
参考 
塩田千春公式HP
https://www.chiharu-shiota.com/top-japanese

美術手帖 塩田千春が癌との闘いを経て見せるもの。森美術館「塩田千春展:魂がふるえる」のここに注目 2019.6.19
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/20030

25年の道…塩田千春の個展 魂のゆくえ言入て 2019.07.14
https://www.sankei.com/article/20190714-2Y5TJNH525LW3DYXNQY7BPGHCQ/

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パーソンズ、ハウゼンの「絵図鑑賞の発達段階」から、有意義のあることな絵図鑑賞を考える

今回は、パーソンズやハウゼンの「絵図鑑賞の発達段階」を元凶に、絵図鑑賞を一倍有意義のあることにする「鑑賞の運び」を考えて粋た余程思います。

パーソンズとは

(Michael J. Parsons 1935- イギリス)
心理学者・ピアジェの「認知発達理論」やコール居酒屋グの「発達段階説」を絵図鑑賞に応用し、絵図鑑賞の発達段階を提示しました。

「絵図鑑賞の発達段階」
第1段階「偏愛主義」(Favoritism)
 表面的な感想を抱く段階。
 「好きな絵=良い絵」で、色彩へに注ご覧なさる特徴がある。
第 2段階「美と写実主義」(beauty and realism)
 「良い絵=描写力のある絵」と考え、描写技術の良し悪しで判断する。
第3段階「表現性」(expressiveness)
 主観的に芸術家の念慮や感情に注目可能ようになる。
第4段階「様式と形」(style and form)
 儀式、ス瓦、歴歴史的な意義のあることを知り作品を理ほぐすることが可能ようになる。
 広い視野で客観的な判断が可能ようになる。
第5段階「自立性」 (autonomy)
 作品の背景や歴歴史的背景・一般的な作積り書価を踏まえた上で、独自の心的傾向を示すことが可能ようになる。

ハウゼンとは

(Abigail Housen)
認知心理学
1980年代にMoMA美術館の学芸員といっしょに「認知性の段階」を提示し、その段階を応用した美術鑑賞教育法を開発しました。
この方法は「対話型鑑賞」として現在でもよく知られて滓、この教育方法を行うことで観察力・批判的念慮力・コミュニケーション力を学ぶことが可能としています。

「認知性の段階」
第 1 段階「説明の段階」(Accountive Stage)
 主題や内容・色について人的な感覚で観察や考察をすることが可能。
第 2 段階「構成の段階」(Constructive Stage)
 美術鑑賞の骨組みみが作られ始め、世界的な価値観で評価・判断可能ようになる。
第3 段階「分類の段階」(Classifying Stage)
 作家や一流・時代などを踏まえて、客観的な見方が可能ようになる。
第 4 段階「解釈の段階」(Interpretive Stage)
 人的な解釈が可能ようになる。独特なものを好む。
第 5 段階「再現の段階」(Re-creative Stage)
 自分で得た知識や解釈が再構築され、新式な捉え方が可能ようになる。

まとめ

この2つの発達段階を比べて見ると、あるグレード共通していることがわかります。

美術鑑賞の発達段階
①作品の表面を見て人的な感想を抱く
②描画技術の素晴らしさに気づく
③④作家や作品についての情報を踏まえ作品をわかりやすい
⑤様々な情報を持った上で自分なりに解了得ことが可能
となります。

この発達段階を利用して絵図鑑賞の運びを考えると、

絵図鑑賞の運び

  1. 作品について人的な感想を考える。
  2. タッチや即物的な部分に注ご覧なさる。
  3. 作品の描かれた時代背景や其頃の世界・地区の状況を知る。
  4. 芸術家について、生まれた環境や所属した一流、事などについて知る。
  5. それらを踏まえた上で改めてこの作品について考える。

といった順序になります。

この順切掛鑑賞をしていくと、鑑賞が一倍有意義のあることになるのではないでしょうか?




* * * * *
投稿 2021.05.21
更新 
参考 

鑑賞支援ツールのひろば 鑑賞の発達理論
https://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/kansho/%E9%91%91%E8%B3%9E%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%81%94%E7%90%86%E8%AB%96/

パーソンズの『絵図の見方』における発達の概念作用と その美的骨組みみに関係考察(1 大学美術教育翰林院「美術教育学リサーチ」第 48 号 2016年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uaesj/48/1/48_377/_pdf/-char/ja

ゼロアート 美術鑑賞の7つの効果とは?美術鑑賞を行うことで得られる7つの力について解説!
https://zeroart.jp/archives/3947

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渡辺省亭

*渡辺省亭(わたなべせいてい)*
生没年  1852-1918
時 代  明治・大正
定住地  江戸・浅草
分 類  日本画
特 徴  優れた描写力・西洋の写実表現を取り入れた花鳥画
題 材  歴史画・花鳥画美人画
受影響  菊池容斎印象派
その他  初めてパリに渡った日本画


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(写真)渡辺省亭展 貼紙(展覧会詳細は下に記載)
渡辺省亭は代々秋田藩の札差(ふださし・武者の給金である俸禄米を換金する業者のこと。現在の金融業のようなもの)の家の次男として生まれました。
子供の頃から絵痴人り描いて滓、尚又それが上手だった利得、12歳で商人となる利得に労りに出るも送り返され、16歳で歴史人物画を得意とした日本画家・菊池容斎の元凶に徒弟入りし、指導を受諾ました。

*巧みな筆さばきと師・菊池容斎の指導*

渡辺省亭の特徴はその巧みな筆さばきにあります。
刷毛の跡を技と残すことで勢いを表したり、線を残さずきれいにぼかしたりすることで、即物的な表現を可能にしました。
彼の作品からはまるで光の様子や空気感が伝わってくるようです。
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(写真)花鳥魚蝦書冊 渡辺省亭 メトロポリタン美術館
水の中へいる様子を、線を一切描かずきれいなぼかしに一倍描いています。
葉の表現は細くも勢いをつけたタッチ、目や鱗は丁寧に、など、巧みな筆での描き分けがされています。

この省亭の切味の良い筆さばきは、師匠である菊池容斎の指導によって培われたと言われています。
菊池容斎の指導は独特で、「書統一同」の考えの元凶、入門して3年はひたすら習字をさせられた斯う。
そして3年間万々しごかれたかと思うと、今度は放任。先代の技術は受諾継ぎながらもだらだらやりなさ余程いう指導に変化ました。
尚又、町へ出たときは見かけた人の衣裳や様子について緻密く質問された斯う。
このような体験から、省亭の細部までこだわった描写力が生まれたと言われています。
4年後、理由不清に破門され師の元凶を御立ちになりましたが、3年経ったのち、呼び戻されます。破門にも容斎の指導旨が隠されているのでしょうか?
聞いているだけでもだいぶ破天荒な師ですが、省亭は生涯、容斎を慕い続けました。

*初めてパリに渡った日本画家*

省亭は日本画家で初めてパリに渡った人物です。
日本画家として独自で渡仏したわけではなく、貿易会社の属託社員として渡仏しました。

1875年、省亭は輸出用陶器などを扱っていた日本最初の貿易会社に就職。
そこで七宝焼などの図案を描くことで評価され、パリ万国博覧会での出品・優勝を機にパリに渡ることになりました。
省亭がパリに滞在した期間は約3年間。
滞在中へ、省亭はエドガードガを始めとした数多い印象派の画家と交流しました。
省亭は彼らとの交流の中で、日本の趣はその屡に、印象派の色彩表現や写実表現を取り込んだ作風を切り開きました。
印象派の画家に本に省亭の画風は新鮮で、数多い印象派の画家たちが彼の筆さばきに驚嘆し、影響を受諾ました。

海外で評価された人物ではありますが、生まれ育った江戸の、完璧な美しさ一倍どこか昧者ている、小洒落れたものが美し余程する「独特な美意識」を生涯愛情を込めてしてきたことでも知られています。
その美意識は、なるべく書き込みを狭いくして、貴重品な所だけ描き、メ宿舎でないものを書き込まず「昧者感」を出す表現や、全体的に薄塗装の表現から見て取る事ができます。
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(写真)「渡辺省亭ー花鳥画の孤高なる輝きー」表紙 岡部昌幸 東京美術発兌¥2000−
メ宿舎の鶴は半分書き込みながらも、特に左下の幹は太い筆で一発書きしたかのような大胆な表現。
それにも関わらずかなり離れた場所から見ると確乎書き込んでいるように見える所が省亭の巧みな技術を物語っています。


帰国後、万博や個展などで国内外から高い評価を受諾ますが、国内では画壇に所属することを小面憎さ距離を置いていた事もあって、次第にディスプレーの序が狭いくなって粋、長い間忘れられることになりました。

令和3年現在、渡辺省亭百回忌を期に展覧会が企画され、新式に注目を浴びています。
5月7日現在、新型コロナウイルス感染対策の利得臨時休館中ですが、23日までディスプレーの予定の利得、興味のある方はぜひご覧になってください。

* * * * *
投稿 2021.05.07
更新 
参考 
渡辺省亭-欧米を魅力した花鳥画
https://seitei2021.jp/
ピリオッド 2021年3月27日(土)~5月23日(日) ※現在から臨時休館
時間 朝10時〜午後5時(入り込むは午後4時30分まで)
会場 東京藝術大学大学美術館(台東区・上野公園)
巡回 (愛知)岡崎市美術博物館 2021年5月29日(土)~7月11日(日)
   (静岡)佐野美術館 2021年7月17日(土)~8月29日(日)

加島美術hp https://www.kashima-arts.co.jp/exhibitions/watanabe_seitei/

wikipedia 渡辺省亭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%9C%81%E4%BA%AD

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土佐 光芳

*土佐光芳(とさみつよし)*
生没年  1700−1772
時 代  江戸時代中期
定住地  京都
分 類  土佐派
題 材  似絵(ポートレート画)・仏画など
その他  土佐派系図を作成

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(写真)推古天皇像 1726年 叡福寺蔵
光芳26歳の作品。幼年から絵の才能を嘉賞られていた光芳の画力の高さが分かる作品。
推古天皇千百年遠忌にあわせて制作・奉納された作品。聖徳太子絵伝の推古天皇を参考にして描かれたもの。


光芳は土佐派の基盤を安定させた絵師です。
祖父は途絶えかけた土佐派を再建した土佐光起の子・光成で、光成の死後、その4ヶ月後に早死した父・光祐の後継として、わずか11歳で絵所預となり家督を継ぎました。

*土佐派の基盤を安定させた*

光芳は幼年一倍画技を嘉賞られていたこともあってか、順調に宮廷での位を昇、このことに一倍宮廷の中で確乎たる位に占めるようになります。
その中で、経済体制基盤の安定・組織拡大という2つの方策を取ることに一倍、土佐派は幕末まで続く確乎たる画派となりました。

①経済体制基盤の安定
尚又、光芳は土佐派に確乎たる経済体制基盤を築きました。
これまでの土佐派は、仕事の量に応じた銭嵩を受諾取っていた利得疑しさな生活を送っていましたが、光芳の嘆願に一倍、給金仕組みのような体制で毎月日夕の銭嵩を受諾取れるようになりました。
②組織拡大
さらに、組織を長く存続させる利得に、長男が本家を継いだあとに次男を分家させ、組織を拡大させました。


尚又、光芳は「土佐派系図」(家系図)を作成した人物としても知られています。
時素姓など乳呑み子辻褄が合わない箇所が見られますが、この家系図は自己の正当性を傍証する旨があったと考えられています。
このようなことからも、土佐派という組織の拡大・安定を考えた光芳の人物像が伺えます。



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(写真)藤原定家像 土佐光芳 18世紀前半 54×32.5 敦賀市立博物館
鎌倉時代初期の歌人藤原定家ポートレート画
作品ふたには色紙形で、新勅撰和歌集から引用した定家の和歌が書かれています。

あけは又 秋のなかはも すきぬへし
かたふく月の おしき剞けつかは
(八月の十五夜の夜が明けたら今年も尚又秋も半ば過ぎるだろう。中秋の名月が名残り惜しいだけだろうか、いや、過ぎていく秋も尚又惜しい)


* * * * *

投稿  2021.04.30
更新  
参考  
藤原定家像 淳賀市立博物館
http://jmapps.ne.jp/tsuruga/det.html?data_id=253

土佐派とは
https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/04/21/172014

土佐三筆
https://yhsqwa.srwsw.com/entry/2020/12/11/192212

https://vtkjxx.srwsw.com https://vxknwv.srwsw.com https://dtnxky.srwsw.com https://yghmke.srwsw.com https://vghhya.srwsw.com https://smstyp.srwsw.com https://ystyte.srwsw.com https://kdmihd.srwsw.com https://twigpe.srwsw.com https://qwqrev.srwsw.com https://aadfkq.srwsw.com https://qkpvef.srwsw.com https://ervihy.srwsw.com https://jnxahm.srwsw.com https://mwjajh.srwsw.com